2012年御翼3月号その2

牧師を目指したゴッホ

 ミレーから多大な影響を受けたのが、オランダの画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853〜1890)である。ゴッホの祖父、父は共に牧師であり、特に父は厳格だったという。ゴッホには、生まれて間もなく死んだ兄がいて、兄の死からちょうど一年後の1853年3月30日、兄の誕生日と同じ日にゴッホが生まれている(ミレー誕生から40年後)。兄と同じ名前を付けられたゴッホは、自分の名が刻まれた墓碑を見て育ち、両親が自分を見る眼差しの先には兄の姿があるのを感じていた。あるゴッホ研究家は、「誕生以来、様々なことから自分は捨て子ではないかといった疑念にかられ、彼の生活を暗くし後まで影響した」と言っている。ゴッホは、自分は自分であって決して兄の生まれ変わりではないと考えたはずである。両親が長男に期待した思いが、ゴッホ自身に重くのしかかってきて、それがかえって彼を苦しめることになったと考えられる。
 ゴッホの生涯は、挫折の連続だった。彼は幼い頃から性格は激しく、家族を含め、他人との交流に問題を抱えていた。絵が好きだった彼は、16歳で美術商として成功していた伯父のもとで働く。しかし、23歳の時、ロンドンで受けた失恋の痛手から無気力になり、解雇されてしまった。25歳で伝道者養成学校で学び、伝道者として聖書のことばを語り続ける決心をする。彼なりに一生懸命に学んだが、牧師の資格を得られなかった。それでも、ベルギーの炭鉱に臨時説教者として派遣されて献身的な働きをした。当時の炭鉱では、過酷で危険な仕事をしながら、経済的にどん底の生活をせざるを得ない多くの労働者たちがいた。ゴッホはそのような社会のひずみの中で生きている人たちの中に入っていった。「あなたの隣人を自分自身のように愛せよ」との主イエスの教えを実践しようとしたのだ。自分のわずかな持ち物も貧しい労働者たちに惜しまず分け与え、炭鉱の労働者でもないのに、必死になって労使交渉の仲介役も務めようとする。ところが、彼のこのような献身的な働きを当時の教会は認めようとはしない。あまりにみすぼらしい有様が牧師らしくないと言われ、1879年、伝道師の仮免許を剥奪されてしまった。
 このような苦難、心の傷を負っても、ゴッホは信仰を捨てない。翌年1880年、画家となることを決心し、ブリュッセルでデッサンの勉強を始める。伝道者への道を絶たれてしまったゴッホは、忘れ去ることのできない貧しい人たちへの思いを、絵画に託そうと考えたのだ。そして、彼の憧れていた画家ミレーのような農民画家の道へと進む決心をし、ミレーの絵画を模写することを通して、研究を重ねていく。ゴッホの伝道者、説教者としての歩みは挫折で終わる。しかし、彼は私たちに大切なことを教えてくれる。それは、貧しく、困難な歩みをしている人たちと同じ目線に立つことである。
 ゴッホは画家仲間を集めて共同生活をし、芸術家の理想郷を作ろうとするが、来たのはゴーギャン一人だけだった。共同生活もうまく行かず、やがてゴッホは自ら精神病院に入院する。彼の絵画の価値は生きている間は全く認められず、生前売れた絵は一枚だけで、生存中、ゴッホにこの世の報い、報酬は何もなかった。そんなゴッホの作品を理解し、経済的に支えたのが実の弟テオである。「兄さんは、社会の虐げられた人たちに自分を投影し、そうした人々を救うことで自分も救われたいと願っているのだ」テオはゴッホの絵画だけでなく、心情までも理解していた。しかし、やがて弟テオも仕事が上手く行かず、息子は思い病にかかり、「兄への仕送りが辛い」ともらす。その言葉に打ちのめされたゴッホは、銃で自殺したとされている(1890年、37歳没)。しかし、自殺するには難しい銃身の長い猟銃を用いたことや、右利きにも関わらず左脇腹から垂直に内臓を貫いていることから、他殺説も存在する。(兄への援助も妻子と裕福な家庭を築くことも上手くいかない弟・テオが、自殺未遂で拳銃を取り出した際に、もみ合って兄・ヴィンセントの腹に銃弾が発射されたとの説もある。)兄の死から数ヶ月後、弟テオも精神的な錯乱状態に陥り、精神病院に入院した後、1891年に病で死去している。その後、ゴッホの作品は、テオの妻ヨハンナの努力により世界的な評価を得るようになった。
 ゴッホの画家としての年数はとても短く、27歳で画家になる決意をし、37歳で亡くなっている。亡くなる前、ゴッホは、ミレーの「種蒔く人」の模写を繰り返し行なっていた。伝道者を目指して挫折したゴッホは、画家になっても神のみことばを蒔き続ける者でありたいとの思いは消えることがなかったのだ。彼は幼い頃から、何度も聞いたことのあるイエス・キリストの話された「種蒔きのたとえ」を心に思い起こしながら、「種蒔く人」を描き続けた。だから、彼自身の思いの中では、伝道者の延長線上に画家の自分を見出していたのであろう。進む道は変わっても、隣人として貧しい農民、働く労働者の傍にいて助けたい、福音を届けたいという思いは終生変わらなかったはずである。
 イエスが語られた「種蒔く人」のたとえ話は有名な聖書の話である。種蒔く人とは、この世界に福音の種を蒔く人のことなのだ。良い地に落ちた種は、百倍、六十倍、三十倍もの実を結んだというたとえ話である(マタイ22:3〜9)。彼は心を病みながらも、福音の種を蒔くことの大切さを生涯忘れることはなかった。ゴッホは心病む人だったが、その原因は彼の生い立ちにあるとも言える。代々続く厳格な牧師の家庭に生まれ、亡くなった長兄と同じ名まえを付けられ、十分な愛情を受けなかったかもしれない。そこには、アダムから受け継いだ罪を犯すという宿命を負った人間の姿がある。一方、兄、あるいは弟が、自らの死をもって生きざまに報いようとする、罪に対する責任感を見ることもできる。ゴッホのような弱さを持った人間を、イエス様は救われ、福音の種まきのために用いられるのだ。

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